蒼風閑語

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“読みさす”という事

昨日(10月22日)付の『朝日新聞』夕刊に、“悦ばしい読書 ― 自分の時間で読み継ぐ”と題された詩人の長田弘(おさだ・ひろし)氏によるコラムが掲載されており、とても面白く目を通しました。

読書というものは決して一冊の本を“読み通す”事だけを指すのではなく、何度も中断を重ねながら“読み継ぐ”のもまた読書の形であり、むしろそういった“一息に読み飛ばされる”のを拒んでいる様な本こそが面白いのだ・・・といった要旨でした。

私も「読書スタイル」としては、常に何冊かの本を並行して読み進めるカタチを取っているので、“一冊の本だけに掛かり切りになる”という事はまずありません。

いきおい一度に読む分量といえばまぁ長くても「1章」、普通はせいぜい「数節」、或いは場合によってはホンの「数ページ」ずつを文字通り“読み継いで”行くタイプ。

そうそう、先だって読了をお知らせしたディラックの『量子力學 原書第4版』(岩波書店)なども、最初に手を付けてから読み終えるまでの間には、おおよそ3年程の時間が掛かっているのです。

コラムの終盤で、長田氏はこんな風に自説をまとめられています。

 “読書というのは、本を読むというだけのことではないのだ。本を自分の日々のなかに置いて、自分にとって必要な本の置き場所をつくる、そういう日々のあり方をすすんでもちこたえてゆくというのが読書なのだ。いつの世にも読書というのは、その人の人生のスタイルのことなのである。”

何だか「我が意を得たり」と、膝でも叩きたい気分になりました。