天皇の料理番
杉森久英氏1979年の長編を上下2巻組で文庫化した『天皇の料理番』(集英社文庫)を読了しました。
あくまでフィクションであるという作者の意図を反映し主人公の名前は「秋山篤蔵」となっていたのですが、実は宮内庁で初代主厨長を務めた料理人・秋山徳蔵氏をモデルにした伝記小説です。
福井県の庄屋の次男坊として育った篤蔵が紆余曲折を経ながら超一流のフランス料理のコックとなり、ついに宮内庁で “天皇の料理番” を務めるに至るというサクセス・ストーリーは痛快無比。
一見すると直情径行の単細胞の様でありながら、実は目端が利いて気配り上手で腰が軽く、しかも誠心誠意努力し続ける才能がある・・・まぁ世の中で身を立てて行くために必要なものを全て持っている様なキャラクターですね。
もちろん「包丁一本晒しに巻いて」の料理人渡世ですから、やる事や言葉遣いが一々荒っぽくて小気味がイイ。職人の世界に特有とも言えそうな閉鎖的・封建的な描写も「さもありなん」と思わせるリアリティに溢れています。
特に日本人と西洋料理というものを考える上で、以下のくだりはとても象徴的で面白いやりとりでした。吉原を訪れた主人公が床(とこ)の中で芸者と諍(いさか)いを起こしてしまうシーンなのですけれども、ちょっと会話の部分だけ抜き出してみましょう。
芸者:「房州じゃ、年中新しい魚を食べてるから、牛や豚まで食べなくたって、ひもじい思いをしないで生きてゆけるんだよ」
篤蔵:「馬鹿だなあ。今どき牛肉や豚肉を気味わるがるなんて、時代おくれだよ。西洋料理を食べるのは、おいしいから食べるので、ひもじいからじゃないんだよ」
芸者:「日本人は昔から、四つ足を食べないでも生きてこられたんだよ。食べるだけならまだしも、あんなものを煮たり焼いたりする商売なんて、そんなあさましいことを、よくもする気になったもんだ」
まだ一般的には畜産物に対する食習慣を持っていなかった当時の日本人にとって、畜肉や乳製品を加工・調理する事など、恐らく蔑視に値するほど奇矯な行為と見られていたのでしょう。
こういった会話が伏線となって、篤蔵が功成り名を遂げた後や、引いては現代のすっかり西洋化された食習慣と比しての「隔世感」がより強まっていた様にも思います。
・・・ともあれ、日本の西洋料理の黎明期をこれ以上無い位にイキイキと活写した長編傑作です。もし興味を持たれましたら是非とも御一読下さいませ。
- 作者: 杉森久英
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2015/03/20
- メディア: 文庫
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