蒼風閑語

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真知子

お馴染み“野上彌生子全集”(岩波書店)の中から、「小説七」と題された第七巻の『真知子』を読了しました。

昭和3年(1928年)から昭和5年(1930年)にかけて雑誌『改造』等で発表された後、昭和6年(1931年)に鉄塔書院から単行本として出版されたもの。

文章自体はさすがに野上氏による“手だれ”の筆遣いで、明晰にしてたおやかで且つ機知に富んだ素晴らしいものでした。

ブルジョワジーとプロレタリアートの間で生まれる精神的・物理的な軋轢と相克の中で、悩み傷つきながらも人間的成長を遂げて行く若い女性主人公の姿は、昭和初期における先進的女性の“在り方”としては、ある種の「典型的なパターン」だったのでしょうか。

ブルジョワだのプロレタリアだのといった言いまわしを聞くと、何となく“古臭い”イメージを持たれるかも知れませんが、「勝ち組・負け組」などという名の下に極端な二極化が進行しつつある現代にあってこそ、本書の発するメッセージはより重く響くのではないかという気がしています。

巻末に添えられた〔岩波文庫版「まへがき」〕の中で、作者はこんな風に述べていました。まさに今、この時代に噛み締めておきたい一文ではないかと思います。

 “私生活における箇人的モラルの完成―それは容易でないにしろ、常にそれに達しようとする慎ましい精進なしには (中略) 働く者の階級の幸福も、もつと広く地上の人類の新しいモラルの昇華もありえないとする女主人公の考へ方は、作者の考へ方であることだけは明らかにしておきたい。”

野上彌生子全小説 〈7〉 真知子

野上彌生子全小説 〈7〉 真知子