蒼風閑語

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人間にとって科学とはなにか

かれこれ1年程も前に神保町で買い求めていた、湯川秀樹梅棹忠夫の両氏による1967年の著作『人間にとって科学とはなにか』(中公新書)を読了しました。

全編が両氏の対談によって構成されているので文章そのものは非常に読み易いのですが、テーマに沿って語られるトピックは多岐にわたり、全体を通じてかなり読み応えのある内容となっています。

哲学にも造詣の深かった物理学者と自然科学の素養豊かな人類学者による対談とあって、話の泉は止め処もなく溢れ出る様でおよそ「尽きる」などとという事の無さそうな感じすら。

「人間にとって科学とは?」というかなり大きなテーマなので、半端な知識人同士の対話だと訳の判らないものになってしまう危険性もありそうですが、そこは希代の碩学お二人の事、話題は幅広いのにお話の「芯」がズレるという事がありません。

冒頭の「はじめに」の中で湯川氏が述べておられる件(くだり)が、本書に通底する基本概念を的確に表しているような気がするので、その部分を少しばかり引用しておく事にしましょう。

  老子荘子の思想は、一方において、優れた自然哲学でありながら、同時に最も根源的な意味における科学否定論でもあった。好奇心などあるから、まずいことになるのだ。それを捨てなさい。情報量・交通量が増えるから、うるさいことになるのだ。隣の村との通信・交通もしないほうが賢明なのだ。二千何百年か前のこういう主張が、二十世紀後半の科学文明の中に生きる私たちにとって、他のあらゆる主張にもまして、痛烈なものになってきたのである。”

他の人選・組み合わせではこうは行かなかったであろう見事な「対話編」となっています。現在はやや入手し難い状態の様ですが、もし古書店などで見掛けたら是非手に取ってみて下さいませ。

人間にとって科学とはなにか (中公新書 132)

人間にとって科学とはなにか (中公新書 132)