蒼風閑語

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コルタサル短篇集

木村榮一氏の訳による『コルタサル短篇集:悪魔の涎・追い求める男』(岩波文庫)を読了しました。

何と言うべきなのでしょう・・・とてつもなく面白いものを読んだという感触だけが強く残っているのですけれども、さてこの面白さをどう説明すれば良いものか。

奇妙、といえばこれほど奇妙な話の数々も無いのですが、ただ荒唐無稽なだけのおとぎ話集なのかというと全くそんな事はなく、どのストーリーもゾクリとするほどリアルな感触を湛えています。

冒頭に収録された「続いている公園」で描かれる、小説の世界の中に入り込んでしまった主人公がフィクションの世界から現実世界の自分を見ている感覚・・・このパラレルなイメージが全編を貫いている、とでも言えば近いのでしょうか。

巻末に添えられた「解説」の中で、翻訳者の木村榮一氏はボルヘスコルタサルの作風を比較して、

ボルヘスは個々の人間の感情や心理、意識といったものは捨てて顧みないが、コルタサルは逆に個としての人間の意識下に潜む狂気、夢、妄想、幻想といったものに強い関心を抱き、それらが外的な現実とせめぎあうところに目を向けている。

とその本質的な差異に言及していました。

私は以前、ボルヘス作品は「ストーリーを追う」のではなく「感じ取る」べきものだとこの欄に書きましたが、それはつまるところフィクションとしてとても受け入れ易い形式だった・・・という事でもあったのです。

しかしコルタサルの作品は何というか、フィクションだと思って読んでいると突然現実だとか記憶だとかがぬっと顔を出して来る様な瞬間が多々、あるのですね。

アントニオーニ監督による映画作品『欲望』が掌編「悪魔の涎」にインスパイアされている、などという逸話も「むべなるかな」という気がして来ます。

本書に収録されている作品はどれを読んでも特別な読書体験となること畢竟かと思いますが、もしかするとジャンキーのジャズ・マンにスポットを当てた「追い求める男」が一番取っ付き易いかも知れません。

個人的には「夜、あおむけにされて」「南部高速道路」「ジョン・ハウエルへの指示」「すべての火は火」辺りのシュールな味わいがお気に入りです。

さて、次は再びボルヘス作品に戻るか、折角なのでコルタサルの他の作品集に手を伸ばしてみるか・・・読み応え充分の手強い作家2人を前に目下愉しく迷っているところです。

悪魔の涎・追い求める男 他八篇―コルタサル短篇集 (岩波文庫)

悪魔の涎・追い求める男 他八篇―コルタサル短篇集 (岩波文庫)