懐手して宇宙見物
“夜寝る前に布団の中で”と時間と場所を限定してつらつらと読み進めていた、寺田寅彦氏の随筆集『懐手して宇宙見物』(みすず書房)を読了しました。
池内了氏によってセレクトされた様々な題材に彩られる短文は、まるでページを繰る程にその味わいを増して来る様で、本の終わりが近付くに連れてワザと読まずに済ませる夜を作ってみたり。
中でも比較的長くて読み応えがあって、しかも叙情的な余韻に溢れていて印象深かったのが、昭和7年に発表されたという一編「夏目漱石先生の追憶」でした。
ひとしきり師であった夏目漱石との思い出に浸り、取って置きの逸話をあれこれと語り、また受けた薫陶の数々には深く感謝の意を表しつつも、最後にはこんな一言を書かずにはいられない。
“しかし、自分の中にいる極端なエゴイストに言わせれば、自分にとっては、先生が俳句がうまかろうがまずかろうが、英文学に通じていようがいまいが、そんな事はどうでもよかった。いわんや先生が大文豪になろうがなるまいが、そんなことは問題にも何にもならなかった。むしろ先生がいつまでも名もない、ただの学校の先生であってくれたほうがよかったではないかというような気がするくらいである。先生が大家にならなかったら、少なくももっと長生きをされたであろうという気がするのである。”
「時代が違うよ」と言って片付けてしまえば、それは全く「その通り」なのかも知れないのですが、でもヤッパリ何だかとても羨ましくなってしまう師弟関係だと思いませんか?