ある巨匠
今日のニュースで報じられたある「巨匠」の訃報。
わが家の書架の中にもその「巨匠」の著作が何冊か鎮座しています。それらの全てが、クラシカル・ミュージックを聴き始めて間もない頃からずっと“特別な手引書”として傍らにありました。
駆け出しの頃には独善的で一刀両断をウリにした様な評論に気を取られる事もありましたが、この「巨匠」の紡ぎ出す知的で穏やかな語り口の虜になるまでに、さほどの時間は掛かりませんでした。
とかく“やたら難解”になるか、逆に“とてつもなく乱暴”になってしまいがちなクラシック音楽評論の中にあって、明晰でありながらも仄かな情緒の感じられる文章はまさに「孤高」という表現こそが相応しいものでした。
決して「この曲を聴け!」と声高に叫んだりはしないのに、書かれた文章をひとたび読んでしまうと、どうしてもその作品に耳を傾けてみたくなる。
そして実際にそれらの楽曲を耳にすれば、音楽に詳しい友人や先輩から特別に教えて貰った様な気がして、今度はどうしてもその曲を好きにならずいにいられない。
・・・幸いなことに、現在この「巨匠」の作品については文庫版の全集なども刊行されており、数々の“珠玉の”評論やエッセイを誰もが手軽に味わう事が出来ます。
音楽評論家の吉田秀和氏。同氏の著作から本当に沢山の手ほどきを受けた読者の一人として、心より哀悼の意を表したいと思います。