蒼風閑語

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日本人と日本文化

司馬遼太郎ドナルド・キーンの両氏による対談を基にした1972年の著作『日本人と日本文化』(中公新書)を読了しました。

稀代の碩学お二人が道端で、もしくは電車の中で、偶然に出会ってよもやま話に花を咲かせる・・・といったコンセプトで編まれた一冊。

ただし「よもやま話」と言ってもそこはこれだけの才人同士のする事ですから、日本の歴史や文化、文学について溢れんばかりの薀蓄がタップリと傾けられます。

かといって重箱の隅をつつく様な些事の袋小路に入り込むのではなく、あくまでも「幹と枝葉」の範疇に話題を収めているのが流石・・・というか、この辺りはむしろ編集の妙というべきところなのでしょうか。

さて本書は全体が8つの章から成っており、内訳は第一章「日本文化の誕生」、第二章「空海と一休」、第三章「金の世界・銀の世界」、第四章「日本人の戦争観」、第五章「日本人のモラル」、第六章「日本に来た外国人」、第七章「「続・日本人のモラル」、第八章「江戸の文化」という流れでした。

歴史という大きな流れの中で、日本人が海外諸国や外国人をどう見ていたか、逆に外国人の視点から日本人はどう見えていたのか、はたまたこの国の中にあって日本人自身の有り方はどの様であったのか・・・話題は縦横に広がり留まるところを知りません。

司馬氏が巻頭の「はしがき」で述べていた以下の件(くだり)が、読者の気持ちを図らずも代弁している様な気がしているところです。

 “私は偶然、日本人にうまれた。ただ市役所に私の戸籍謄本があるというだけのことで私は日本国に属し、それだけの理由で日本のことを知っているかのような錯覚をもっている。多くの日本人も私に似たような錯覚をもっているにちがいなく、ときどきそれが錯覚にすぎないということに気付いて愕然とするという点でも、他の多くの日本人とおなじである。その愕然とさせられるような契機を、ドナルド・キーン氏の著作はしばしばわれわれにあたえる。”