蒼風閑語

ll_bluewind_llのひねもすのたりのたり

すくうのは「足」

御覧になった方も多いと思うのですが、今日の朝刊に載っていた文化庁が24日に発表したという「国語に関する世論調査」の結果。

「全力で物事に取り組むこと」は“心血を注ぐ”のだし、「論理を組み立てて、議論を展開すること」は“論陣を張る”だろう。「何かがきっかけになって、急に物事の本質がわかるようになること」は当然“目から鱗が落ちる”だよね。

・・・と調子良く来たので「卑劣なやり方で失敗させられること」?そりゃあ“足下をすくわれる”に決まってる!と思ったところが大間違い。正しくは“足をすくわれる”なのだそうです。

辞書を開いてみると確かに【足を掬(すく)う】とはありますが“足下を掬う”とはどこにも。これはどうも長らくの間“足下を見られる”とか“足下に付け込む”といった言い回しと混同していた様です。

その後は「憮然(ぶぜん)」の「憮」の字が“心にぽっかり穴が開いた感じ=失意”を表しているという事や「檄(げき)を飛ばす」の「檄」が「檄文」の意であった事など、辞書を引き直してはそうであったと反芻する事ばかり。

それにしても「琴線(きんせん)に触れる」を、“怒りを買ってしまうこと”と誤解するのは些か信じられない感じでホントかな?とも思ってしまうのですが、ココロの琴線に触れる様な“人の機微(きび)”自体が廃れてしまった昨今・・・という事なのかも知れませんねぇ。