蒼風閑語

ll_bluewind_llのひねもすのたりのたり

あるマエストロの功罪

今日「秋分の日」はあいにくの冷たい雨・・・と例年なら言いたくなるところですが、今年に限っては“ようやくの冷たい雨”。

窓外の雨を眺めながら、部屋の中に流れ込んでくるヒンヤリした空気をこれ程までに心地良く感じるのは、本当に久しぶりの様な気がしていました。

外は雨。そして何もかもがシットリと落ち着いた快適な秋の休日・・・と来れば、こんな日は温かいコーヒーと本と音楽のためにあるに決まっています。

目に付いたLPやCDを適当に取っ替え引っ換えしながら、これまた本の山から適宜選び出した読みかけの本をひっくり返し、コーヒーはお気に入りの豆をペーパー・ドリップで淹れ直すこと2度3度。

そんな中、半分程読みさしていたのを読み上げてしまったのが、宮下誠氏2008年の著作『カラヤンがクラシックを殺した』(光文社新書)。

音楽評論のスタイルや取り扱う演奏家の傾向としては、慶応大学の許光俊氏などと同系列にカテゴライズされそうですが、許氏に比べると更にもう一段生真面目というか、ある種「無垢」ともいえるクラシック音楽に対する信頼感や愛情が色濃く表れた文章となっています。

クラシック音楽に対する絶大な信頼感や深い愛情ゆえに、その裏返しとしての批評活動もますます舌鋒鋭く、ややもすれば「過激」と受け取られかねない程に先鋭化して行ったのではと推察します。

本書の内容の是非については賛否両論大きく分かれるところかと思いますが、これを音楽批評に仮託した広い意味での社会批評の書と捉えると、現代人が改めて心に留め置き常に自省しておくべき重要な事柄が数多く含まれているのではないかと感じられました。

こんな少しばかりハード&へヴィな内容の評論に継続して目を通していられるのも、やはり季節が“読書の秋”へと移った事の証明でもあるのでしょう。

カラヤンがクラシックを殺した (光文社新書)

カラヤンがクラシックを殺した (光文社新書)