蒼風閑語

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「空気」と「世間」

かれこれ1年近くも前に神保町で買い求めていた、鴻上尚史氏2009年の著作『「空気」と「世間」』(講談社現代新書)を読了しました。

先に読み終えていた阿部謹也氏1995年の作品『世間とは何か』(講談社現代新書)を、更に現代的な表現を使って易しく書き改めた様な内容でしたが、その巧みな論旨の噛み砕き方は「さすが!」というべきものでした。

本文第3章で定義する“「世間」が流動化したものが「空気」である”という命題を様々な角度から検証して行く・・・というのを基本的なスタイルとし、どちらかと言えば重くなりがちなテーマを時に軽快とも言える口調で語り尽くします。

文献からの引用や具体的な例などを多用しながら徹底的に判り易く「空気」と「世間」を読み解こうとする試みは、大筋において成功していると言って差し支えないのではないかと考えます。

何より鴻上氏の「これだけはどうあっても伝えたい」という、ある種“切迫した必然性から来る平易さ”の様なものが、読み進むほど胸に深く刺さる思いがするのです。

巻末の「おわりに」から引用しておきましょう。そう、本書は陰湿極まりない「いじめ」が「ブーム」としてマスコミを賑わせていた「あのころ」の作品だったのです。

  “この本は、いじめに苦しんでいる中学生にまで届いて欲しいと思って書きました。 (中略) あなたが大人で、この国の息苦しさに苦しむ子供たちと出会ったら、 (中略) どうか、子ども達にも分かりやすい言葉でこの本の内容を伝えて欲しいと願っています。「差別的で排他的」な「世間」から弾き飛ばされないように、一日何十通ものメールを交換する必要なんかないんだと、「順番に来るいじめ」に怯えている少女に伝えて欲しいと思うのです。”

「空気」と「世間」 (講談社現代新書)

「空気」と「世間」 (講談社現代新書)