蒼風閑語

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被災地を歩きながら考えたこと

はや4回目となる「あの日」を迎えて、五十嵐太郎氏2011年の著作『被災地を歩きながら考えたこと』(みすず書房)を読了しました。

東北大学で教鞭を執られている著者が被災地を歩き、建築工学の研究者としての視点で東日本大震災発生から半年間の推移と展望を書き綴ったルポルタージュです。

全体は大きく6つの章に分かれており、Ⅰ「破壊」、Ⅱ「文化」、Ⅲ「記憶」、Ⅳ「構築」、Ⅴ「情報」、Ⅵ「萌芽」、とやや抽象的なタイトルが付けられているのですが、体験と知識に基づいた詳細な記述はリアリティに溢れるものでした。

基本的に月刊誌『みすず』で2011年6月号から10月号までの5ヶ月間に亘って連載された記事を中心に据え、同時期に様々なメディアへ発表されていた原稿も加えて再編集を施した一冊。

本書には震災発生から間もない時期に撮影された被災地の画像が多数挿入されていましたが、撮影対象が構造物や建造物に絞られており客観的に見られるぶん津波の持っている破壊力がリアルに伝わります。

特に、鉄筋製のビルが根こそぎ倒されて横になっているというのが建築学的にもいかに「あり得べからざる」状況であるか、ひとたび津波が起これば自動車がどれ程危険な「漂流物」となり得るか・・・といったところは本書ならではの指摘でしょうか。

宮古市田老地区の惨状を目の当たりにしての “もはやハードだけに頼り切って安心してしまうのではなく、人の力、すなわち徹底して逃げることが重要なのだろう” という著者の述懐は今や普遍的な力を伴って響きます。

今年は幸いにも本当に良いタイミングで、あの日起こった出来事について新たな知見を学び取る事が出来ました。では、著者が災害を学び、記憶し、考え、伝えて行く作業の重要性を示唆していた件(くだり)を改めて引用しておく事に致しましょう。

つまり、我々は未曾有の事態が起きた、世界は変わったと騒いでいるが、やはり過去にも同じようなところまで水が到達し、町を襲っていた。むろん、近代を迎え、映像と情報機器が充実してからははじめてかもしれない。だが、まったくの想定外ではなく、むしろ大災害を忘却していたことを痛感すべきなのである。

被災地を歩きながら考えたこと

被災地を歩きながら考えたこと